誰も崖から落ちずに自由に参加できる場所にするために【公開トーク後編】 | Yama Yama Art Center

このコラムは、世の中がコロナ一色だった2020年春からゆるやかに始まったオンラインの「よもやま相談室」において「シーズン1最終回」として行われた公開トークの記録【後編】です。公開内容の文字起こしに加筆修正を加えています。(相談室は今後、シーズン2へと続きます)。

【開催日時・・・2020年9月20日(日)13:00-15:00/相談者:イシワタマリ(山山アートセンター)/相談員:笠間弥路(美術家/彫刻家)、石神夏希(劇作家)、守本陽一(医師)】

前編はこちら

「対等」は「均質」とは違う


石神
アートセンターを作るにあたって、便宜的に言うとさっき笠間さんが言っていたように「誰かが誰かをケアする」というふうにならないほうがいいと私も思っていて。「相談室」っていう枠組みで言うと、誰に相談に来て欲しいのか?ということのほうが大事に思えてくるというか。誰と相談しあいたいかなあ~だよね。「相談者と相談員」、じゃなくて「どんな人で集まって相談したいか」ということ。そこをもうちょっと突き詰めたり、広げたりして考えても良いのかも。
イシワタ
最初に「対等」の話をしたけど、「対等であること」って簡単なようで難しい、それでいて単純。単純に、聞くとき話すときの振る舞いかたに過ぎないんじゃないかと思ってて。「この人は対等に話してくれる/聞いてくれる人だなあ」と思う瞬間は近所のおばあちゃんとか日常で接するあらゆる人との間にある。その逆もしかり。その中には色んな肩書きの色んな属性の人がいる。相談し合いやすい振る舞い方のスキルは皆で一緒に磨いていく必要があると思っているし、それにはなるべく違う専門性や背景を持った人が集まった方が経験の集合知が生まれると思う。そして、そのスキルを磨く機会が日本では少ないと思う。生い立ちや立場が自分と違う人と会った時、「違うからって構えずにただ対等に聞けばいい」と思えることが必要で、その態度はお互い磨いていかないといけない。経験を積むことで誰にでも身に付けられることなんじゃないかな?「相談者/相談員」がフラットな関係の中でスキルを磨いていけるような環境になるといいのかも。
石神
対等っていうのは均質ってこととは違いますよね。同じ質量なんじゃなくて、バランスがシーソーみたいに動き続けていくのが対等なのでは、という感覚を私は持っていて、マリちゃんの話を聞いてそれを改めて感じた。それぞれ立場や年齢、できることが違う中でシーソーをこいでいく、って感じなんじゃないかなあ。「最初から私たちは同じ地面に立っている」という幻想からだと始まらない会話ってあるんじゃないかなあと思っていて。そういった考えを逆転させていくことからシーソーのようなやりとりが始まっていくんじゃないかと思う。さっきのYATAI CAFEで言うと、そこは医療のプロフェッショナルがカフェのマスターやってるから面白いっていうか。そうやって(シーソーの片側を)跳ね上げたところから初めてシーソーが動き出すんじゃないかなと。そういう意味で役を固定しちゃうと(シーソーの動きも)固まってしまいがちなんだけど、変動させるためにあえて違う役を設定するというか・・・最初はイーブンじゃないかもしれないけどだんだんバランス取れていけばいい、っていうのが今の話聞いてて思ったことかな。「相談をしてください」じゃなくて、押しかけ相談室みたいな感じで、相談してほしい人にこちらから「相談して!!!」「アートセンターを作ったので相談が必要なんです!30分ください!」っていうような押し押しの姿勢から、実は何かが動き出して始まるのかもしれない。相談者としても、そこからアートセンターへの興味が湧いてくるかもしれない。いきなりフラットに始めようとしてもやっぱり「相談室」の固定概念があるから、そのイメージをバーンと逆転していくのはどうかなって今の話を聞いてて思ったんです。
イシワタ
相談員の相談を聞いてくれ!って頼むわけね(笑)。
石神
「いつでも開けてるから来てね」じゃなくて、相談してほしい人に「あなたの都合のいい時間に行くから、相談を聞かせてくれ!」っていうアプローチをかける一方で、相談しに来たい人への窓口も並行して開けておく、という両方をやってみるとか。「聞きたい」って基本、お節介じゃん?
イシワタ
実際そうだもんね。相談も「自分にとって必要だから」っていうのは大事だよね。「アナタたちの人生を良くしたいんです!!」っていうのにはウザさしかないけど、「私たちのために必要なんです!!」っていうことだったら仕方なく相談してくれる人はいそう。「シーズン2」はそうしましょうか(笑)。
守本
「相談する側」ってそんなに対話スキル求められませんもんね。「相談者」として商店街の偉い人とか連れてきても面白いかもしれません。
イシワタ
「相談員を募集」じゃなくて「相談者になってくれる人を探す」ってことだよね?
石神
そうそう。それにあたって、逆に我々相談員もマリちゃんのモチベーションを共有している必要があって、とにかくマリちゃんが相談を聞きたくてしょうがない人たちに向けて…と言いますか。
イシワタ
白羽の矢を立てるんだね(笑)。
石神
そう。そういうのはどうかな?
笠間
マリちゃんが拾いたい・聞きたい相談がなんで来ないんだろうと思ってたんだけど、「誰かの役に立ちたくて困ってる」みたいな人はそりゃ相談には来ないよなと思った。「あなたの相談で私がこんなに助かる!」っていう、興味があるってわかった状態で話せるほうがいいんじゃないかなあと私も思います。
石神
うちの父が精神疾患を長く患っていて、先月亡くなったんだけど、2年くらい前にね、マリちゃんにインタビューしに来てもらったんですよね。彼は幻聴がひどかったんだけど、父なりに話したいことがいっぱいあったと思うんです。でもその声を家族は聞くことができないから、マリちゃんがそれに興味を持って来てもらえてすごく良かったと思ってる。そのインタビューの文字起こし、結局私は亡くなる直前まで読めなかったんだけど、亡くなる一か月前くらいにようやく私も読めて、母にも見せることができて。本人にカウンセリングに行くよう促してもダメだったと思うんですよね。話さないし、自分自身で聞き手を拒否しちゃう。「聞かせてください!」がやっぱり良かったんだと思う。
イシワタ
そうだよね、「聞かせてくださいよ!」って熱心に聞かれたら答えるしかないよね・・・。
石神
父も聞いてもらえて嬉しかったと思う。
守本
べてるの家みたいな感じですね。北海道に精神疾患を抱えた人たちの家があって、そこでは年に1度「幻覚・幻聴・妄想を皆で発表する会」があるんですよ。それを皆で楽しむって会なんですけど・・・すごく面白いですよね、本来治すべきものを発表する場があるのって。
石神
そうですよね、家族だと幻聴のことを言われてもなかなか・・・「そんなこと誰も言ってないよ」って言っちゃうわけです。話を合わせられたとしても、以前の本人を知っているとやっぱり楽しむよりつらい気持ちがあるから、無理してる感じになっちゃうんです。もっと教えて欲しい!って面白がって聞いてくれる人がいるといいよね。

シーソーを漕いで力関係を崩す


守本
認知症とかも一緒ですね。神戸のはっぴーの家ろっけんも面白い介護付き住宅なんですけど、そこに住んでいるおばあちゃんが聞き上手で、アドバイス好きな人なんです。でも、認知症でプライベートなことを話しても1日で忘れちゃうそうで。そこで、そのおばあちゃんに夜相談会を開いたところ、色んな人が相談しに来たんだけど翌日には忘れてるからオッケー、っていう(笑)、この取り組みもめちゃめちゃ面白いなって。
イシワタ
おばあちゃんに聞きに行くのは私もいつかやりたいと思ってました。今、私が関わらせてもらっている宮津市のマ・ルートっていう福祉施設のおばあちゃんにインタビューする機会があったのですが、やっぱり向こうは人生の大先輩だし、途中でこちらがアドバイスをもらう側になる場面があるんですよね。そこがすごくいいなと思ったりして。そういう感じだね、少し分かってきました。
石神
ゆくゆくは相談員としてそういった方に入ってもらうのもいいかもね。
イシワタ
ね。一応形として「相談室」「相談員」「相談者」っていう看板を掲げるんだけど、その中身や力関係をぐちゃぐちゃさせる。
石神
そういった役割で固定されがちな力関係を崩すっていう。
イシワタ
うんうん。なんとなく「シーズン2」の希望が見えてきました。
笠間
相談員に積極的におばあちゃんを入れていくのはアリだと思いました。オンラインを教えに行けばいいんだよ。それがゆくゆくはマリちゃんが言っている「地域のおばあちゃんを孤立させないこと」にも繋がっていくし、マリちゃんは「オンライン用の機材を持っておばあちゃんのもとへ通う」というループができるし、それがいいんじゃないかなって。それは私達みたいな人が名を連ねている相談室よりずっと聞きたくなると思うんだよね。
イシワタ
それはやりたいね。「押しかけて相談を聞き出す案」に向いてる人もいれば「相談員に招く案」に向いてる人っているから、それぞれのタイプに合わせてかなあと思った。私、フォーマットに人を当てはめるのっておかしいと思ってたのに、最近になってフォーマットを作ろうとしている自分を自覚する瞬間があって。なにかを継続していくにつれて誰にも求められていないフォーマットを作ろうとしてしまうことがあって・・・今「押しかけ案」と「招く案」が出て、誰かと話すためにそういう路線のバリエーションがあるってわかったのがよかった。
石神
一方でフォーマットがあるから乗っかれる・活きる人がいるのも事実で、「脱フォーマット化」によって山山アートセンターから離れちゃう人が出てくるのはもったいないよね。関わりしろを増やすためにゲームのルールみたいな、誰でも遊べるフォーマットが役立つこともある。日替わりのルールでもいいし。ルールがあるからこそはみ出すことが面白い、どんどんはみ出していいよ、という場にしていく。さっき聞いてて、まさしくそんな面白さを感じた。例えば、「今日はマリちゃんの独断と偏見で福知山の面白い人を集めた相談室です!」とか。「この相談員のここが面白い!」みたいなキャスティングを全部マリちゃんがやる。
イシワタ
そうだね。ちなみに私が言った「フォーマット」はもっと稚拙な「毎月○○やります」みたいな枠組みのことかな。石神さんのいうフォーマットは確かにもっと活用したらいいんだろうなと思う。

「正義の御旗」を掲げることが良いことではない

守本
福祉とかケアに関わっていると、「正義の御旗」を掲げたくなる瞬間があって。「孤立してるおばあちゃんはダメだ!」って高齢者サロンに引きずり出して利用者と関わらせることがもちろんいいことではない。確かに孤独は死亡リスクが高まるけど、N=1というか。このおばあちゃんだからこそここに入ってほしいみたいな適材適所にポジションを設定(デザイン)してあげることが医療従事者の仕事だし、専門性が発揮されるべき場所でもあると思うんだけどなかなかできる人がいなくて。そういう人が増えたらな・・・。
イシワタ
私の中で、医療は固くて動かないっていうイメージがあったけど、守本さんたちのような人は次世代の医療者というのか、そのイメージを覆す印象です。「総合診療医」というのは最近出てきた考え方なんでしょうか?
守本
日本だと最近ですね。僕がライフワーク的に考えている「社会的処方」がイギリスではすでに実践されていて、高血圧でやってきたおじいちゃんに「最近やることないんだよね」って言われたら畑を耕すサークルを紹介したりだとか。イギリスでは、そういったコミュニティの処方が実際に行われていたりするんですけど、そういうのを元々やってたのがイギリスの「家庭医」だったりします。日本だとずっと「専門医」っていう考えが浸透していたのでやっと最近「家庭医」とか「総合診療医」という考え方が盛り上がってきたところです。
イシワタ
盛り上がってきているんですね!
守本
じわじわですね。とはいえ年間8,000人の医学生がいて、「総合診療医」に進む割合が300人っていう状況ですからまだまだ少ないですけど。あと、「医療」はそういったフォーマットがハッキリしているんですけど、「介護」のほうが日常的なケアを扱う機会が多いので、そっちの方が面白い取り組みをしている人が増えてきているのかな?と思っています。
イシワタ
うんうん。何かそういうの聞くと希望を感じるというか。様々な専門分野のひとがそうやって「専門性の殻に閉じこもっていてはいけない」と考える時代なのかな?美術なら「ソーシャリー・エンゲージド・アート」とか仏教でも「ソーシャリー・エンゲージド・ブディズム」って掲げて、社会に出ていったり繋がろうとする人たちが出てきているところに希望を感じます。
リスナーMさんからのコメント
以前、相談させて頂いた者です。今日はいろんな話が出てきてたのしいです。わたしは「相談室」と名乗られていて、紹介文の中に、「相談員もこの場にいることで救われています」というような文章があったので、いってみよう、と思って申し込めました。行政のやっている相談室にも行ったことがあって、その場は臨床心理士さんと1対1だったのですが、3人相談員がいるということが、やっぱり後になってもよかったなぁと思っております。
イシワタ
私も1対1の構図が嫌だなと思ってたので、そう感じていただけたならよかったです。
笠間
私も育児うつとかで行政の相談窓口に行ったことがあるんですけど、やっぱ1対1の力関係があると私は最初からあんまり喋れないんですよね。バランスが不均衡なままなんです。言葉を浴びて帰るだけの状態になっちゃうから・・・あまり意味がないという訳ではないけれど「他に行く場所がない!」ってときは救いになるけど・・・少なくとも全ての状況においてそうじゃないよなと思ったりするので、不均衡にならない配置なのは作るうえで大事だなと思います。
イシワタ
ただ、3対1という構図が威圧的に感じるようになってしまうと問題で。3人の醸し出す場がそういう力関係を感じさせないように、工夫していくことが必要ですよね。
笠間
だからおばあちゃん!?
イシワタ
そうかもね!?(笑)

グランドルールを決めよう!

守本
これは対話におけるグランドルール的な問題なのかなと思っていて。この構図って「オープンダイアローグ」というやり方に近いって思ってたんですよ。1980年代からフィンランドで行われている治療手法なんですけど、精神疾患を持った人がSOSを出すと4,5人ぐらいの医療チームが「よっしゃ!対話するぜ!」って言って押しかけて・・・というやり方なんですが。ああいうのって、可能性があるなと思う一方で、ある程度のグランドルールに加えて相手を否定しない態度だったり、安心安全が確保できる環境がないと対話的なダイアローグが成立しない。今日はそういったのを意識できる人が集まっているからいい感じの場が作れていますけど、全然関係ない人(イレギュラーな人)が入ってきた時にどうなるか?という難しさが懸念として考えられますね。
例えば、相談員として商店街のおじちゃんを呼んできて、話自体はめちゃくちゃ面白いんだけど口調が相手をばっさり切り捨てていくような物言いだったりとか。見てる分にはいいのかもしれないけど、相談する側の安心安全というのは置き去りじゃないですか。
イシワタ
そういえば、本当に初期の頃、石神さんから相談員の公募を提案されたんだけど、面白いと思う反面ちょっと怖いなと感じたんですね。相談員は(少なくとも最初は)アートセンター側で選びたい、と。安心安全を脅かす人って善人の顔をした人の中に混ざり込んでいるし、さらに、自分自身にもそういう側面がないとも言い切れない。自分がそういう言動をしてしまったときにそれを止めてくれるかどうかっていうのが相談員になってもらう基準かも。誰かが間違った時「この場合はそういうことじゃないよ」ってフォローできるかどうか。でもそこは、グランドルールとして明文化しておくことで防げるのかもしれないですね。
守本
あとは、相談した側の人が「相談してよかったと思う人」に合わせて雰囲気やグランドルールを変えていったりとかですね。そしたら身につきそうですよね。相談した人が今度は相談員側に回ってもらうとか。
笠間
色んな人に相談員側に回ってもらうんだったら、ある程度グランドルールを作って哲学対話みたいな形を決めておけば、切り捨てる物言いの人が「あ!あれはルール違反だったかも…」って頭を引っ張り出す機会になって面白いんじゃないかな。
イシワタ
それがむしろいいですよね。
笠間
そうすることで、お互いの立場が逆転した瞬間に関係性がほぐれたのが分かるんじゃないでしょうか。
イシワタ
グランドルールを決めよう!ルールを言語化することについて考えてみたいな。

誰も崖から落ちずに自由に参加できる場所にするために


石神
あとはマリちゃんのキュレーションが大事だよね。公募して選べばいいってわけじゃないのが今までの話で見えてきたから、その人を選ぶまでのプロセスとか、条件を付けてみたりしながら楽しくやれたらいいなって思うんですけど。そこがマリちゃんが自分事として発揮すべきところ。違う境遇や価値観を持った人を自分からスカウトに行くっていうか。それが山山アートセンターを安全な、皆が自由に遊べるための場所にしていくために重要なことなんじゃないかなあと。アートセンターの「センター長」ってまんなかにいるイメージだけど、山山アートセンターの場合は「キャッチャ―・イン・ザ・ライ」的な振る舞いが必要というか(笑)。
イシワタ
『ライ麦畑で捕まえて』!!(サリンジャーによる不朽の名作!!)
石神
主人公の少年が「自分がなりたいのは、周囲を崖に囲まれたライ麦畑で遊ぶ子どもたちが崖から転がり落ちそうになったときにつかまえる役(キャッチャー)だ」ということを言うのね。それがすごくいいなと思ってて。真ん中にいるようでいて「キャッチャー・イン・ザ・ライ」であることが、自由に皆が参加できる場所をキュレーションする時には大事なのかも。
イシワタ
それはすごくいい話だね。うちの夫は究極の夢が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だって言ってる人。私もなれるかな?!崖から落ちそうな人と一緒に落ちちゃうんじゃないか心配・・・(笑)。
石神
真っ先に崖まで行くタイプかも(笑)。
イシワタ
そこは(相談員の)皆にキャッチャーになって受け止めてもらえばいいのか!
石神
山山アートセンターにおけるマリちゃんの「自分事」からスタートする時に、センター(中心)にいると同時に「キャッチャー・イン・ザ・ライ」みたいな居方ができるといいんだと思う。誰も崖から落ちないようにする。
イシワタ
そろそろお時間ですが、最後に何か!
笠間
同じようなビジョンを持っている人が違う視点からそれを一緒にぐるぐる回していく感じが面白いなあと聞いてて思いました。守本さんが入ったことで、触れないものがちょっとずつ形になっていく実感があります。
石神
その通りですね(笑)!
守本
面白かったですね。笠間さんに同感で、向かっている方向性は結構皆似てるんなんだなということがわかりました。皆さんの発想力とか・・・偏見ですが、アートやってる人の発想ってすごいな!と思ったり。「シーズン2」、どんな相談が舞い込むのか楽しみにしております!
石神
私は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の話して満足しています(笑)。守本さんが言った通り、同じ山を違う方向から登っている感じがします。同じ山なのか、ゴールとする山頂まで同じなのかどうかは分からないけど、この試み自体が面白いなって思うし。いずれにせよこの相談室になにかのプロがいるっていうのが結構大事だと思いますね、肩書きを自分で作っちゃってもいいから。プロが、自分の専門領域についてキャッチすることは必要ですね。守本さんがキャッチャーでいてくれるのは、心強いですね。
イシワタ
それはすごく思いますね。守本さんの共著書のタイトルは『ケアとまちづくり、ときどきアート』なんですけど、そんなにアート出てこないじゃないですか(笑)。
守本
そうなんです、あんま出てこない(笑)。
イシワタ
アートは大切なんだっていうマインドはある人たちが書いた本なんだけど、まだそんな密接にアートと関わってないんじゃないかなっていう印象が正直あって(笑)、だからこそ私たちの関わりしろがあると感じられて。本を読みながら、ここに笠間さんや石神さん、私が加わることでどうなっていくんだろうっていうワクワク感が湧きました。というわけで、「シーズン2」お楽しみに!皆さんありがとうございました!
一同
ありがとうございました!

イシワタマリ

山山アートセンター代表、美術家

1983年神奈川県生まれ、京都府福知山市在住。大学で学んだ「スピリチュアリティにまつわる社会学」とスペイン北部バスクやベルリンでの創作経験を起点に、さまざまな人が力を持ち寄ってとにかく生きようとするプロジェクト「山山アートセンター」構想を展開。

笠間弥路相談員

美術家/彫刻家

1983年宮城県生まれ、京都市在住。長女の育児中の孤独に行き詰る中、子どもとのコミュニケーションにおける美術の可能性に惹かれ、2014年頃から子どもとの共同制作を始める。造形教室講師など。

石神夏希相談員

劇作家

国内各地や海外に滞在し、都市やコミュニティのオルタナティブなふるまいを上演する演劇やアートプロジェクトを手がける。鬱病及び統合失調症による幻聴・妄想と共に暮らす父をはじめ、精神疾患を持つ家族と向き合ってきた経験を持つ。

守本陽一相談員

医師(家庭医/公立豊岡病院組合出石医療センター総合診療科)、YATAI CAFE店長

1993年神奈川県生まれ、兵庫県育ち。学生時代から医療者が屋台を引いて街中を練り歩くYATAI CAFE(モバイル屋台de健康カフェ)や地域診断といったケアとまちづくりに関する活動を兵庫県但馬地域で行う。現在も専門研修の傍ら、活動を継続中。共著に『ケアとまちづくり、ときどきアート』(中外医学社)など。

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    展覧会『逡巡のための風景』(2019年/京都芸術センター)から始まった、イシワタマリの覚え書きあれこれ。
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