「相談室」という看板はダミー?!【公開トーク前編】 | Yama Yama Art Center

このコラムは、世の中がコロナ一色だった2020年春からゆるやかに始まったオンラインの「よもやま相談室」において「シーズン1最終回」として行われた公開トークの記録【前編】です。公開内容の文字起こしに加筆修正を加えています。(相談室は今後、シーズン2へと続きます)。

【開催日時・・・2020年9月20日(日)13:00-15:00/相談者:イシワタマリ(山山アートセンター)/相談員:笠間弥路(美術家/彫刻家)、石神夏希(劇作家)、守本陽一(医師)】

それぞれの相談員たちのこれまで

イシワタ
「孤独のやまびこー山山よもやま相談室・シーズン1」は2020年5月末から、予約してくれた「相談者」に1人(1組)に対して2人ないし3人の相談員でオンラインで話をきく、という形でスタートしたわけですが、最終回の今日は私イシワタが「相談者」として悩み相談をするという形で相談員の皆さんに集まってもらいました。「私が相談するならこの3人!」というゴールデンメンバーにお越しいただいたのですが、そんな皆さんが普段どういうことをされている方なのか、またどういった経緯で相談員をやることになったのかを最初にお話しいただければと思います。

まず劇作家の石神夏希さん。石神さんにはいちばん初期の形をつくるところから相談に乗っていただいていました。

石神
私は「劇作家」という肩書きで活動しているんですけど、ここ10年くらい劇場では作品を作っていなくて。今年になって静岡へ移住しましたが、それまでは関東を拠点に、様々な地域や海外のまちへの滞在を繰り返しながら、そこで暮らしている方たちがその人自身の役で出てくるようなパフォーマンスを一緒に作り、まちの公共空間やパフォーマー自身の家や職場といった生活空間など、まちを移動しながらツアー形式で上演する作品を手掛けてきました。作品では主にパフォーマー(まちの方)自身に語っていただく、そしてお客さんたちが「話を聞く」。劇を一方的に見せるんじゃなくてパフォーマー自身と出会って対話していくというものです。私が「こういう話をしてください」とお願いする、というよりは「みんなが本当にしたい話をしてもらう」という感じ。

今回は、こういったこれまでの取り組みに関心を持ってくれたマリちゃんからが打診があって、「困った時にみんながどんなことを考えてるか、話を聞ける場所があるといいな」っていう企画段階から関わり、現在は「相談員」もやらせてもらっています。


(横浜・メルボルン・マニラで上演された石神さんの作品、『ギブ・ミー・チョコレート!』(2015-2017)のようす。)

イシワタ
ありがとうございます。次に美術家の笠間弥路さん。

笠間
こんにちは。京都を拠点にしている美術作家なんですけれども、縁があってイシワタさんとわりと初期の頃から山山アートセンターに関わらせてもらっております。相談室の話に興味があったのは、私自身相談するのがすごく苦手っていうのと、そういったコミュニケーションの問題に関心を寄せていたからです。

過去の作品では、自身の子育てにまつわる経験を通じて、美術や非言語的なものも含めてコミュニケーションをとっていく過程を絡めたサジェスチョンみたいなものを記録しています。子供と対面していると分からないことが多すぎて、一体何を共有して良いのかわからなくなってしまった時に、石を拾いあって眺めあうみたいなこととか、それを積み上げてくっつけていくみたいなことを無心にしてみるとか、そういったことを通し)「何かを共有できる」っていう感覚が作品の手がかりになっています。

それと、最近私が企画しておこなった『道にポケット』(2020年夏/京都市立芸大のギャラリー@KCUA)というグループ展について少しお話しさせてください。この展示はフィリピンで活動するアーティストの作った「Flex*」というコミュニケーションゲームをベースにした共同プロジェクトになっているのですが、この「Flex*」というゲームは、あらかじめ設定された単語群の中から偶然に選択された単語をもとに自分の中の語りを想像して引き延ばしていく、というものです。展覧会参加者がグループ展を作っていくプロセスでこのゲームをベースにしてコミュニケーションを取りました。パンデミック以前から準備を進めていた企画だったのですが、自粛期間を経て、対面でやる予定がオンラインに切り替わっていきました。クローズドな状況の中で、人との関わり方や対話っていうものの在り方についても考えが飛んでいったりと…自分の声を探し直す行為が行われていたと理解しています。この展示を通して、「相談」って困ってからするものじゃなくて、相談したい側と相談を聞く側という関係性があるとなかなか本当の話が引き出せないというか、ビジョンが見えないという実感がありました。「Flex*」を通して参加者と対等な関係性を作れたのは面白い経験でしたね。

イシワタ
ありがとうございます。お二方はいずれも(広い意味での)アートに軸足を置きながらコミュニケーションに関心を持って活動されている方々なのですが、相談室「シーズン1」でいろいろと話をしていくにつれ、アートとは別の視点を持ったひとの存在が必要なのではないか、と。そこで「シーズン2」から仲間入りしてほしいとお願いしたのが医師の守本陽一さんです。

守本
すごいですね、異世界に迷い込んだ感じです(笑)。
僕は兵庫の豊岡市というところで総合診療医をやっています。聞きなれない人もいるかと思うんですけれど、簡単に言うと「まちのお医者さん」って感じです。ちょっと怪我したから行こうとか血圧高いって言われたから行こうとか、そんな感じのお医者さん。子供から大人までどんな人でもまるっと診ますよ~というようなかかりつけ医、家庭医としてやらせてもらっています。それと、そんな患者さんの背景にある家族だとか、また患者さんが住んでる地域の課題をより良い方向に進めていくには?とかご家族に対して何か良いことができないかな?というような、家族や地域といったレンジの広い範囲も射程範囲としてアプローチできないかなと思いながら活動しています。具体的には今、出石医療センター(豊岡市出石町)という場所で働いておりまして、イシワタさんの拠点にされている場所(福知山市三岳地区)から山を抜けて30分くらいの、お医者さんが4人というような小さな病院でやっております。

あと、YATAI CAFEという活動を2〜3年やっておりまして、まちなかを移動しながらコーヒーをお配りしたり、物々交換したりしながら気軽に健康の話ができるような活動を月1回行っています。この活動をやる前、学生の頃は移動式医療セミナーみたいなのもやってたんですけど、毎回来てくれる人って結局医療に興味がある人だとか、元々健康意識が高いような人なんですね。そうじゃない人にはなかなか自分達の活動が届かないなあ・・・ということで、よりポップにカジュアルに、「医者/患者」という関係性を超えて対話できるような形が取れないかなあということで、「YATAI CAFE」の活動を始めるに至りました。

それから最近、西智弘さん藤岡聡子さんとの共著で『ケアとまちづくり、ときどきアート』(中外医学社)という本を出版しました。「お医者さんがまちに出ていくとポジティブな効果が得られるよ~!いいことあるよ~!」みたいな指南書で、この本が意外と売れており!ありがたい限りです。「書を捨てよ、まちに出よう」ではなくこの書を「持って」まちに出てくれる人が増えたらいいなといった内容になっております。
僕自身も対話はテーマにしながら色々やってきているので、石神さんや笠間さんの話を聞いてて共通する部分は結構多いんじゃないかなって思いました。ふだんは医療従事者のやる「対話型の課題解決の場」みたいなことをやっているのだけれど、今回、イシワタさんが「山山アートセンターで対話・相談の場づくりをやる」と聞いて、ここはどうなるのかなって楽しみにしております。

(守本さんが豊岡市街地などで取り組んでいるYATAI CAFE。)

イシワタ
ありがとうございます。
私は5年前に「山山アートセンター」を立ち上げて、「さまざまな人が力を持ちよ寄ってとにかく生きようとするプロジェクト」と言っていますが、発端は私の個人的な困りごとだったんです。結婚や出産のタイミングで、今まで生まれ育ったところではない別の環境で暮らすことになり、「この困り感は一体誰とどのような言葉で共有したらいいんだろう・・・?」と。最初はほとんど友達のいない状況から、「1品持ちよりごはん会」なんかを通じてネットワークを広げていきましたが、コロナ禍においてはどこの誰とも知れない人が作ったお惣菜のあまりものをシェアする「1品持ちよりごはん会」は最低の企画というか・・・(笑)。今まで山山アートセンターで取り組んできたようなやり方で人と繋がることはできないんだなあと痛感しつつ今回のオンライン企画に至りました。とはいえ初めは企画がぼんやりしていたので、すぐさまたくさんの人にマッチするものではなかったと思います。それでもちょっとずつやってみる中で、「これって実は山山アートセンターで私がやりたかったことの根幹なのかもしれない」と思うようになりました。というのは、先ほど笠間さんも仰っていたように、やっていくうちに「相談する側/相談される側がいる」という枠組みは違うんだと気付いていく。でも、気付きつつ、それでもなお「相談室」という形を掲げることによって「いろんな人が力を持ち寄って生きようとする山山アートセンター」の理想に近づいていくのでは?と。「座談会」や「集いの場」ではなく「相談室」。自分が弱さとか悩みを持っていて、それを気軽に口にしていい場って何だろう?と考えた時に、改めて「相談室」を突き詰めていきたいと思ったんです。
・・・石神さんと笠間さんは「シーズン1」を終えて今どんなことを考えておられますか?

石神
私は「アートセンターが相談室をやる」というのがおもろいなって思ってるんです。つまり、本当に困ってから相談すると手遅れな場合が多いなと思ってて。まだ自分でもそんなに困ってない段階に話したり聞けたりすることが結構重要なのでは?と。守本さんもそれに近いことをされているんじゃないかと思いますが、「アートセンターのふりをしているけどそういうことが話せる」っていうのがすごくいいと思います。一方で、これは反省になってしまいますが、ここ(よもやま相談室)でどんな相談ができるのか分かりにくいなと思う時もあって(笑)。自分が相談しようって自覚した時には手遅れになってるかもしれないけど、逆に自覚している時はだいたい、その道の専門家や先輩的な人に聞いてみたいなって思うじゃないですか。それなら逆に「山山アートセンターはこういう相談を聞くよ!」って絞っちゃった方が分かりやすいのかも?「よもやま」と言ってしまうと分からない括りを「他のどこにも持っていけない相談」として言語化できればいいんじゃないかな。

笠間
私は実はこの相談室で相談らしい相談を受けた回にまだ出会ってなくて。
イシワタ
そうですね(笑)。相談者がいないときは相談員同士で相談しあったりしてたから。
笠間
そう(笑)。「シーズン1」は、その場にいなかった相談員は相談内容を共有しないというルールもあったので、相談しにきたひとのモチベーションがまだわからない部分があるんですけど、とにかく思ったのは「よくわかんないけど、そうやって自分が持ち込んでいい場所や時間がある」いっていうのが私はありがたかったです。ただ、自分が何に困っているのか気付く前にアクセスできるような方法を考えた方がいいのかな、というふうに思います。

イシワタ
そうですね。アクセスに関する練りの未熟さは「シーズン1」の反省点だと思います。私たちも悩みを抱えている人間にすぎないので、「相談員自身も相談をする」という状況は相談室の姿勢として良いなとは思ってます。

「人として対等」だと感じさせてくれる相手に相談したい


イシワタ
このところ「相談ってなんだろう?」に考えを巡らせてみて、頭に浮かんだのはお医者さんの問診。病院に行くときって誰しも「ここが痛くて」とか「かゆくて」とかで困っている。そのとき、親身になって聞いてくれるお医者さんもいれば、高圧的な態度で話を聞いてさえくれないお医者さんもいる。医学的な観点からすればどれほど馬鹿らしい訴えだとしても、患者である私の訴えにはなんらかの真実があるはずです、だってそれは私自身の生活の中で起こっていることなんだから。そこでお医者さんが私を「人として対等」に聞いてくれてるなって感じた時に「あ、この病院にはまた来よう」って思う。
それと同じで、日常を思い返してみると、自分の相談相手には「人として対等に接してもらえている」と感じられる相手を選んでると思います。たとえ尊敬するひとでも「自分なんか足元にも及ばない」って萎縮させられるような相手に相談ってしないし、当然その反対に見下してしまうような相手に相談ごとはしない。経験値や専門性、情報量なんかよりも大事なポイントは「人として対等」だと感じさせてくれるかどうかなんじゃないかと思うんです。
山山アートセンターの相談室にはなんの専門性があるか分からないけど(演劇、美術、医療とそれぞれに異なるバックグラウンドの人たちがたむろしてて)、「この人たちは人間として対等に弱く、対等に尊い」。そんなことが事前情報として感覚的に伝わったうえ
で、そういう場が「コンスタントに開かれている」ということが伝われば、手遅れになる手前で相談しようと思ってくれる人が増えるんじゃないか・・・。私にとって「山山アートセンター」そのものがそんなことを追求するための場なんじゃないかなと考えるようになりました。
ちょうど「山山アートセンター」誕生の前に綾部市で始めた「絵本の世界の絵画教室」という教室でまさにそんな経験をしていたんです。運よく素敵な人たちが生徒として集まってくれたというのが大きいのですが、掲げている看板が「日本画」でも「油絵」でもなく専門性が曖昧なのがポイントだったのもしれません。毎回ひとりひとりが手を動かしつつお互いが考えてることを自然なかたちで共有しあう場として機能していて、誰かが聞くばっかりでも喋るばっかりでもない関係性ができていて。私は先生役としてその場にいたけれど、私自身にとっても居心地のいい場であり学びの場でした。
これから先の「山山アートセンター」のありようとして、お互いに「相談ともなく相談しあう場」というのはつくっていきたいし、どうやって「そういう場所があるよ」と届けていくことが適切なのかについて練っていかなければいけません。

「暮らしの保健室」のその先へ

イシワタ
以前お話したときに守本さんが挙げておられた「暮らしの保健室」について少しお聞かせ願えますか?
守本
はい。「暮らしの保健室」は、2011年くらいに新宿の団地の1階で「病院にかかる前に、医療についてカジュアルに相談できる場を作ろう」と訪問看護師の方が緩いスペースを作って、健康だとか介護についての相談を受け、民間や行政と繋がって、支援を皆でやっていく・・・というような敬意と目的で生まれた場所であります。
イシワタ
っていうのが全国にあるんですね?
守本
はい、全国に展開しています。僕らのような、臨床医がまちに出て何かやるとなるとよく例として挙げる人が多いですね。ただ、これも素敵なんですけど、2020年になってやや限界を迎えつつあるのではとも思ってます。
イシワタ
というと?
守本
先ほどイシワタさんのお話で「ドクターに話をするのがつらい(ときがある)」というのがあったと思うんですけど、それを僕なりに分析してみたら2つ理由がある気がして。
まず1つめ、一般的に医療者は自分の解釈に基づいて話すので、例えば「血圧が高い」とかで病院に来ていたら、そのことについて「血圧が高い理由はこれとこれなので、こう治しましょう」という自分のロジックに持っていこうとするんですよね。その溝を長年の経験で補っている人もいれば、サイコソーシャル(心理社会的)な問題まで考えて見ていきましょうっていう家庭医や訪問医も出てきているけれど、全体で見るとまだまだ少ないという印象があります。
2つめは、診察室という場の空間が歪だなと。「入ってきて自白する場」というふうになっちゃってる気がするんですよ。ドクターという聖職者に懺悔するみたいな、明らかに構図がはっきりしているので会話のパターンが固定化、限定化しちゃうんじゃないかなと。だからこそYATAI CAFEの取り組みのような、よりフラットに対話ができるような場に可能性を感じていて。もちろん「暮らしの保健室」もいいんですけど、あそこも結局「団地の一室で看護士が待ち構えている」という構図だから、「医療者と患者」っていう関係性はあまり変わってないのでは・・・と。僕は対話的なモデルに将来性があると思っています。
イシワタ
なるほどね・・・。笠間さんは「対話の場にあえて美術のコミュニケーションを持ち込む」って言ってたけど、そこらへん、どうですか?

(笠間さんが子どもとのにじみ絵などのワークショップを行なった『となりの宇宙』(2014-2016)のようす。)

笠間
そうですね、「相談」がメインディッシュになると何も話せなくなるということが起きるので、何かやりながら、とか別の目的があることで、他愛もなさそうに思うことが出てきたり、起こりやすくなるんじゃないかなと思っているんです。美術っていうものは、手を動かすことで感覚が刺激されて、思考が働きやすくなるというのが起こりやすい。そこに可能性があるなと思います。相談するのを隠して、っていうんですかね・・・。作品制作の際によくやるんですけど、ダミーの行動を作っておく、ということですね。「そうしたい」からもっと違う何か、皆が飛びつくものを持ってくる・・・というような操作はできるんじゃないかな。
イシワタ
作品制作やWSでもダミー行動のようなことをされるのですか?
笠間
WSの時というよりは自分の行動を操りたいと思う時にやりますね。
イシワタ
自分で自分に対してってこと?!
笠間
自分の未知な部分を出したい時、あえて、わかり切っている「できること」を織り交ぜながら「初めてできること」をする、という感じですね。
イシワタ
すごい、計画的犯行・・・!
笠間
冒頭でお話した、最近の展示で使った「Flex*」というゲームも、「ゲームだよ」って言ってるからゲームじゃない部分が出てくるわけで。乗せられてるうちにいつの間にか違うものができている、というのが相談室でもできるのではないかと。その中で参加する人が対応しやすいのが美術でいう「今日は○○作りま~す」みたいな目標を示すことだったりするのかなと思います。

事実かどうかを保留にして「本当のこと」を表現できる演劇のちから


石神
話をしたり、一緒にいる時間はなるべく多く取るようにしています。パフォーマーがたくさんいる時はちょっと大変だけど、少なくとも1対1で話す時間はちゃんと作る。それから私自身が最初に自己開示をする。ただ、自己開示は全部してしまうと危ないですよね。演劇というものの中で、大勢に対して自己開示をする影響が想像できる人といない人がいるし、それに傷つく人がいるかもしれない。だから、自己開示すればいいってもんじゃないことは確か。でも一方で、誰にも聞いてもらえなかったけどしたい話があるっていうことも確かで。自分の出生や人生にまつわる大事なことから、本当にしょうもない話だけどずっと気になっていることまであって。それを話していい場なんだよって理解してもらうために、何を基準にしてどう話せばいいのかまず自分がやって見せることが大事なのかなと思ってます。

一方で、演劇のよさっていうのは、事実かどうかを保留できるところにもある。例えば、このお茶をウイスキーのフリをして飲むのが演劇だと思われがちだけど、演劇をやっている私からするとむしろおもしろいのは、これを「お茶です」って言って飲んだところで実際はウイスキーかお茶なのかわからないっていうところなんですよ。演劇は現実とは違うレイヤーで行われていることなので、ホントかウソかわからない。だからある意味では安全に自分の体験をシェアできるし、フィクションを通して本当のことに触れるような表現をすることもできる。だから、起こっている出来事は事実とは違うんだけどそこにある感情は事実だ、というような表現もできるわけですよ。だからパフォーマーに向けて「実際に起った出来事だけを話してくれ」とは言わない。それに人が何かを自分の言葉で語り出した時に、語りという行為の中ではなんらかの編集は絶対に起こるし、聞き手によってその受け取り方も変わるから、フィクションと事実との区別はしようがないと思うんですね。それより「物語る」ことのほうが大事なんです。どんな状況で語られるのか?どんな人がどんな態度で聞いてくれているのか?どんな物理的状況で聞かれているか?というのが語りにすごく影響を及ぼしていると思うんですね。実際の上演では、安全に話せる環境を守るっていうのがプロフェッショナルとして、アーティストとして我々が関わる意味なんじゃないかな。「安全な場所で話せるようにする」っていうことが大事であって、その真偽は問わない。私は嘘を話されたとしても何も問題だと思わない。なんなら私も、時折嘘を混ぜちゃうし。私のフィクションを間に入れながらやってもらったりとかね。そういうことはします。「死にたいって思うこと」と「実際に死ぬこと」とかね、違うじゃないですか。「殺したくらい憎いということ」と「殺すっていうこと」は違うわけで、でも「殺したいくらい憎い」って現実の社会で言うと、生活を支えている人間関係とか壊れちゃうから言えないこともある。それを安心して言えたり、フィクションとして表現できる場所は必要じゃないかと思います。
イシワタ
それもありますよね。私は美術家と名乗っているしアートセンターをやっているけれど、人から「この活動のどこがアートなの?」と言われることがあるわけで。私はアートの専門教育を受けていないから自分の専門性をどう説明すればいいか口ごもっちゃう部分もあるけれど、でも、「アートっていう看板を掲げると社会にとってこんないいことがあるよ」と、「アート」という言葉自体に馴染みがないひとに向けて示していきたくて。その「いいこと」というのは、「人それぞれだ」ということを当たり前に認められる軸があることと、石神さんが言うような、現実世界の中では混ぜちゃいけないフィクションをここでなら混ぜて日常に帰っていけることだと思っています。「人それぞれ違うことを突き詰めていても大丈夫だ」っていうのがアートセンターの土台にある。
石神
マリちゃんの解釈をちょっと訂正すると、私は「現実世界の中では混ぜちゃいけないフィクション」というよりは、生きてる中で感じる「本当のこと」(ってすごい難しい言い方なんですけど)に触れたり、表出したり、人に伝えたりすることは思った以上に危ないぞ、と思っています。生きていればものすごく暴力的な欲望が生まれたり、社会の秩序にはそぐわないことが起こるじゃないですか。それは「フィクション」ではなく「本当のこと」と呼んだ方が正しいんじゃないかなって。それを表現できる場がないと生きるのがしんどいんじゃないかなって。
イシワタ
う~ん、そうだね。

「相談室」という看板はダミー?!


笠間
アートセンターであることによって安全な領域を作っているという事実はあるんじゃないかなと思ってるんだけど、現実に起きることは本当のことでもあるし現象(起きてしまったこと)であったりもして。起きたことに対して言語化する前に何かしらのアクションが行動や心に起きていたりするわけで。それを出す場所がある、また出す声が表現になっていたりするので、「完成できていない部分を受け入れる場所」というイメージを山山アートセンターに対して抱いています。
イシワタ
それも含めての「相談室」なのかなって思ってはいるけど、そこで、ネーミングとして「相談室」のままでもいいのかな?という悩みはある。それこそ「絵画教室」をやっていたほうが結果的に「相談室」っぽくなるかもしれないわけで。
笠間
相談自体がしにくい文化なのではないかと。
イシワタ
文化なのかな!?
笠間
そうなんじゃないかな、それは。そういう入れ物になったときはつめなきゃみたいな「~しなければ」という使命感。「相談室」があったら「相談」に自分を当てはめようとする感っていうのかな、違う名前があったほうがいいと思うのはそういうことかもしれない。
イシワタ
そうかもね。「よもやま相談室・シーズン2」じゃなくてタイトルごと変わるかもしれないのか(笑)。どうなんだろうね。さっき「暮らしの保健室」という話がありましたけど、「保健室」っていろんな生徒が来る部屋だったりしますよね、守本さん。
守本
医療だとよく、「行動変容モデル」の話をするんです。【無関心期】【関心期】【準備期】【実行期】【維持期】というステージで分ける。「そもそも変わる必要があるのか?」という想いを持つ人たちがいる。「相談」とか「悩みの問題解決」をしようという僕たち医療者が、【無関心期の人】に「相談室やります来てください」と言っても、来ない。悩みは持ってるんだけど自覚に至ってなかったりする。そういう人に対して「相談室」とか「医療です」という場を作っても、一歩踏み出してそこへ来てもらうことはかなり難しいんじゃないかなと思っています。

YATAI CAFEでは僕はあえて「医療」という文字を入れずにコーヒーを淹れていますが、こと「相談はあるけど病院に行くほどじゃないな」「でも友達にするにはややプライバシー的に心配な話だな」とか、そういう時の相談の場って意外と無いなって思っているので、怖い時は逃げても良いクローズドな場として「相談室」を作るのも必要なのかなと個人的には思っていて。そこでフィクションという逃げもあるよ、という石神さんの話は非常に興味深く聞いていました。何を目的にするかですけど、ケアの側面では(行動変容モデルのそれぞれの)ステージに合わせたものを用意していかなければいけないんじゃないかなあと思います。
イシワタ
何を目的にするか。確かに。「マリちゃんは何を目的にしてるの?ずらしたくないことは何?」って石神さんと笠間さんにはこれまで何回も聞かれました。守本さんの話を聞いていて思ったのは、もしかして私は「相談室っていう看板を掲げたい」のかもしれない。「相談室」自体にはあまり人が来ず、絵画教室のほうがよっぽど相談が来るのかもしれない。それでも、「人はあんまり来ないんだけど相談室やってるよ」って言っておくことで「いざとなったら行こうかな!?」みたいに思い出せる看板を出しておきたいんじゃないかって・・・。それに加えて、いつでも誰かの相談にのる構えのある相談員たち自身が「今日も相談者いないね。ところで私の相談なんだけど・・・」っていうように、「相談室」の看板の中にいることで相談しあえる空気があるのも確か。目的はそこにあるんじゃないかって・・・。
笠間
「相談室」と一緒にほかのプログラムもリリースするとか?コンスタントに相談室を開くことで、「このアートセンターは相談室に興味のある人が運営しているんだな」っていう認識を得られるから、永遠に相談者が現れなかったとしても、利用者の意識には『「相談室もやっている」アートセンター』に絵を習いに行きたい、っていう行動の変化が起きるかもしれない。そうすると、絵を習おうと思っていた人が山山アートセンターを選ぶわけだから、相談室のを横でやってる絵画教室にはなんとなく相談したいなと思っている人が絵を習いに来る、という現象が生まれるのでは。
だから、「相談室」という場所はキープして、そうじゃない場を作っていくことが大事なんじゃないかな。
イシワタ
それかも(笑)。石神さんはどう?違ってる?
石神
多分、それをリアルでやったら機能するんだけどオンラインでやってるから悩ましいのかもしれない。例えば、ロハス系のカフェで「今日、占い師が来てますけど占います?」って言われたらつい占ってもらっちゃったりするかもしれない、みたいなことですよね。オンラインだと時間の区切りに慎重になってしまうから、表層的になっちゃうのかなあ。どうしたら看板が並んでる状態でお互い流入しあうことができるのか・・・。
笠間
何かミッションを作るとか?この前やった「道にポケット」では、オンラインで展示を作った後に、そのやりとりの延長で本を作ろうか、という話になって。本という器を用意することで、それをどうしたいかというやりとりをメールで進めていく過程で自分達の想像力の余地みたいなものがオンラインだからこそ生まれてくる。そこに自分の中の何を入れたいのか聞き取りみたいになっていくのが面白いところだったんです。なので、「アートセンター」と名乗っているのもそういう強みがあるのでは。なにかを作るというプランニングを出しちゃえばいいのにって。

(笠間さんが企画し、日本・フィリピンのアーティストらとおこなったグループ展『道にポケット』の展示風景)

イシワタ
「なにかを作る」というのは相談室の中にってこと?
笠間
・・・ではなく!(笑)
イシワタ
「相談室」という看板は完全にダミーなのね(笑)。
笠間
「どうやってイメージを共有するか」というプロセス自体が相談になっていくっていう・・・。
石神
ちょっと違うかもだけど、いま地元の鎌倉でやってる『隣人に聞いてみたい23の質問』というプロジェクトは笠間さんの言ってくれたことに近いのかもしれない。これは鎌倉在住の友人2人と始めて、私は静岡から遠隔で関わっているプロジェクトなんですけど、緊急事態宣言頃から、どうしたらいま本当に話したいことを話したり、聞いたりできるのかなって考えて始めました。今まで身近な人にほど意外と話したり聞いたりしてこなかったような23個の質問を作ってカードにし、相手を訪ねていってその場で3枚引いた質問をカメラの前で答えてもらうっていう映像を撮りためて週2回、3本ずつくらいweb上にアップしているのね。それを最終的には500本以上集めたものを映像作品にして、来年か再来年に「鎌倉で上映会するからみんなきてね」っていう、また会う約束としての映像アーカイヴとして撮りためている。これは映画を最後に皆で観るためにいまカメラの前で話してくださいという、前提によって協力者になっていくという。そういう方法もあるなって、笠間さんの話を聞いてて思いました。
笠間
面白いですね。質問を用意したり関わりやすさを作っておくというのは手だな~と思って。マニラとのやり取りでも「今日水飲みました?」とかイメージが共通しやすいものを入れてみるとか。展示中のプロジェクトでやったのはキュウリの写真を撮ってもらうとか。相手が「ケアされる側」じゃなく「参加者」になるように仕向ける方法を考えるかな。それが受け取られるってわかってる状況、受け手がいるという状況が大事。石神さんのプロジェクトで言うと「公開します」って宣言することで自分の投げた声が最終的に皆に届けられることが分かったり。クローズドな環境は必要だけど、相手が「作る側」に回るほうがいいのでは?という気がしてます。
イシワタ
すごい分かります。山山アートセンターが毎年度末に作っている記録冊子もそんな役割があって、作るものがあるからそれによって物事が進んでいくというか。もっと言うと、プロジェクトのタイトルは「山山アートセンター」ではなく「山山アートセンターをつくる」なんです。この場所がどういうものになっていくのかさえわからないんだけど、できていくプロセスの一端を自分も担っている、と、色んな人が思う状態になっていけばいいなと思う。そう思ってくれる人たちが多様であればあるほどいいなと思っていて。私の思い浮かべるアートセンターはまだ形が無いからこそ、私一人でやってるわけじゃないという状況がどんどん見えていけばいいなと思っているんです。その入り口は1つじゃない方がよくて、「相談室」という看板もそのための手段の一つに過ぎないのでは?と。たくさんの入り口から山山アートセンターが成り立っているんだってことがもっと伝わればいいのかな。『隣人に聞いてみたい23の質問』の話は、外出したり映画館に行くのが厳しい状況の中で「上映会をみんなで一緒に観る」っていう夢を共有できるのはすごくいいなって思ったので、山山アートセンターにももっと「こういう夢があるのじゃ!」というのが広く共有できるといいのかな。
石神
アートセンターを作るためにどういう力(どういう人に関わってほしいか、とか)が必要なのか考えたらいいのかも。開かれてるから来る、という経路ももちろんあるんだけど、そういう、まちなかのお店のような物理的な良さはオンラインだとなかなか機能しなかったりもして。こちらから来てほしい人へ声を掛けていくようなことをすればいいのかも。そして実際に「相談室」を使う人が使いやすい場所として整備していくとか。
イシワタ
どういう人に関わってほしいのか?というのは最近意識して相談するようにしてる。自分の中のドリームチームを脳内で勝手に作るみたいな(笑)。「相談室」は私の中でそういう意味もある。現状、アートセンターを作るうえで関わってほしい人に相談員として入ってもらっていると思う。このやり方や今回のようなトークの仕立て方は「どこまでも自己中すぎるのでは!?」とも思うけど、石神さんに相談した時に「そうならそうで突き詰めるしかない」と言われました。自分が相談するならこの人だし、他の人にも相談するならこの人だよ!と言いたいという確信があるというか。

後編につづく・・・

イシワタマリ

山山アートセンター代表、美術家

1983年神奈川県生まれ、京都府福知山市在住。大学で学んだ「スピリチュアリティにまつわる社会学」とスペイン北部バスクやベルリンでの創作経験を起点に、さまざまな人が力を持ち寄ってとにかく生きようとするプロジェクト「山山アートセンター」構想を展開。

笠間弥路相談員

美術家/彫刻家

1983年宮城県生まれ、京都市在住。長女の育児中の孤独に行き詰る中、子どもとのコミュニケーションにおける美術の可能性に惹かれ、2014年頃から子どもとの共同制作を始める。造形教室講師など。

石神夏希相談員

劇作家

国内各地や海外に滞在し、都市やコミュニティのオルタナティブなふるまいを上演する演劇やアートプロジェクトを手がける。鬱病及び統合失調症による幻聴・妄想と共に暮らす父をはじめ、精神疾患を持つ家族と向き合ってきた経験を持つ。

守本陽一相談員

医師(家庭医/公立豊岡病院組合出石医療センター総合診療科)、YATAI CAFE店長

1993年神奈川県生まれ、兵庫県育ち。学生時代から医療者が屋台を引いて街中を練り歩くYATAI CAFE(モバイル屋台de健康カフェ)や地域診断といったケアとまちづくりに関する活動を兵庫県但馬地域で行う。現在も専門研修の傍ら、活動を継続中。共著に『ケアとまちづくり、ときどきアート』(中外医学社)など。

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    展覧会『逡巡のための風景』(2019年/京都芸術センター)から始まった、イシワタマリの覚え書きあれこれ。
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