キッチンクラブ 月に一度の持ち寄りご飯会  笠間弥路(美術家/彫刻家)

※このコラムは冊子「山山アートセンターをつくる2019 Yama Yama Art Center in Progress」のために2020年3月に書き下ろされたものです。(冊子PDF版はこちら
※現在、コロナウィルス感染拡大防止の観点から持ち寄りご飯会は行なっていません。

 

海を見ながら誰かの作ったご飯を食べる。
私はよそ者で、よそ者が毎回いる会。
私たちは食べ物を共有する。

 

2019年の9月から月に一度、複合福祉施設マ・ルートでひとり一品持ち寄りご飯会・キッチンクラブを開いている。参加者は私、イシワタさんと、施設利用者や職員さんがちらほら、地域の方がちらほら。
チラシの案内文にはこうある。

 

「甘さも苦さもしょっぱさも、みんなで分かち合って楽しもう。
世界がのびのび広がります。どなたでもお越しください。」

 

キッチンクラブという命名は、食べるだけに留まらず、ご飯のその先やその後ろに秘めた人々の交わりのある場にしたいという願いを込めている。美味しかろうが美味しくなかろうが、それらを受け入れ他人のご飯を食べればいい。人には揺らぎがあるものだ。

 

初めはおかずを持ち寄りながら、ご飯のイベントの企画につなげていくことを念頭に話していたが、そもそもよそ者の、料理人でもない私がいきなりそこへ向かおうとするのはやや唐突なのであった。
私はただ、誰かわからない所属の曖昧な人。会場である福祉施設の利用者家族でも職員でもない。近隣地域住民でもない。「毎月2時間かけておかずを持参でやってくる人」である。唯一私に向けられた目はきっと、「アート」寄りの人。「アート」という偏見をまずは少しずつほぐしたい。福祉とアートそれぞれの余白を共有する場だと思っている。

毎月通うと、毎回考えることが新しく出てくる。こんな事がしたい、こんな風になればいいという理想と、これならできる、こうなった、という緩やかな現実の間を継いでいる。
文字にすると当然のことながら、毎度改めて気付き直す。福祉、アート双方の幾つものレイヤーをひとつずつ捲る。恣意的な理解、またはそれに基づく行いがなかったかと振り返る。
説明のつかない日常の出来事は、「福祉」でも「アート」でも無く、ただ日々の生活である。
自立した意志と身体経験の重なりがそれぞれ日常の中に生み出され表れることが生活なのだ。

 

生活への眼差しに変化をつけること、自発的な変化に目を向ける力はアートと呼べるのかもしれない。

 

3月に予定していたキッチンクラブは、新型コロナウィルスの影響で中止になった。

この数ヶ月の間、私たちは世界がゆっくりと崩れていく様子を、目の当たりにしている。
そして私は、休校になった小学校の、行き場のない給食のことを思いながら、お弁当を作っていた。子供たちは授業のない学校で遊び、公園で遊び、さほどいつもと変わらなかった。
ここから恐怖はよく見えない。
それもそのはずで、ここにいる子どもたちの生活が恐怖の中に沈まぬよう、子どもを囲む大人達は自分の身の回りの物事を選択するのだ。それでも恐怖は形を変えて毎日に滑り込むのだと日を追うごとに感じるのである。3月の終わりを迎える今、個々に滑り込んだそれはだんだんと実を結びつつある。そして、それに抗うように私は毎日ご飯を作っている。

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三岳でイシワタさんは畑をすると言っていた。青空の下でなら会えると。残念ながら、私たちは青空の下でも会う事はしばらくできそうにない。私は家で夏のために庭先のレモンを塩漬けにし、来年のための味噌を仕込む。私なりの方法で冬を仕舞い春を迎える。私の身近に耕すほどの畑があったことはない。大地に触る事に馴染みのない育ち方をしたし、家に招いた植物は次々と枯れた。
母は野菜を作る事はなかったものの野菜信者であった。野菜を取れば取るほど強く正しくなれるかのように妄信していた。幼い頃からの精神的な慣習は古いおまじないのように引き継がれ、私は野菜や果物、作物を心底頼っているのだ。身体と自然や外界、他者を繋ぐ唯一無二の媒体として。

子どもの頃の私は踊りながら生きていた。あれは私を生かしていたのだと、この頃よく考える。
小学校の帰り道も、バスを待つ時間も踊っていた。言語化できない日々のあらゆる事象の歪みや高揚を身体に落とし込みなんとか生きていたのだろう。
「虫になりたい、バッタになりたい」とノートに書きつけたことを覚えている。
食べるものと同化する姿、生きていることをそのままに表す跳躍に心から憧れていた。

大人になった今、子どもたちの遊び、福祉の美術、畑という作業、食を支える労働といった営みは、身体の経験が自己の分裂や精神の崩壊を防ぎ、心身の融合を支えるものだと捉えている。人間は非合理的な事象を生きている。

 

2020年3月のある暖かい日、
私は大豆を鍋にかけ続け、豆をつぶし、麹をきり、耕すように混ぜ合わせる。
人肌の豆は心地良く、一年後の未来を健やかに思い描く。レモンの香りは夏の予感に満ちている。

 

三岳の山ではイシワタさんが畑を整え、鹿柵をたて、ジャガイモを植えている。
山の景色を想像する。
その山の向こうの海の景色を思い直す。

 

2020年の3月に寄せて

笠間弥路 MIRO KASAMA

美術家/彫刻家。1983年宮城県生まれ、京都市在住。長女の育児中の孤独に行き詰る中、子どもとのコミュニケーションにおける美術の可能性に惹かれ、2014年頃から子どもとの共同制作を始める。造形教室講師など。
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    展覧会『逡巡のための風景』(2019年/京都芸術センター)から始まった、イシワタマリの覚え書きあれこれ。
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