about

とにかく、生きよう。

「山山アートセンター」が始まったきっかけは・・・と話し出せば、2011年の東日本大震災その他若い頃のたくさんの出来事にさかのぼっていくわけだけれど、いちばんのきっかけは、それまでアートを頼りに生きてきた私の生活が、引越しや結婚や出産をきっかけに一変したこと。アートなんて誰からも必要とされていない地域コミュニティの中で私はいったいどうやって生きていけばいいかと考えたときに生まれたのが「山山アートセンター」だった。

「アートセンター」といってもそのような施設や建物があるわけではなかった。一介の子育て主婦にすぎない私にそれをつくる力はなかった。「このあたりのしんぶん」や「やまやま休憩室」「山山よもやまトークシリーズ」などの企画を足がかりに、既存の公民館や飲食店などを間借りしながら、少しずつ人と出会っていった。そのうちに2人目の子どもが生まれると、乳飲み子を背負ってどこまででも行った。常に人と出会っては話をし、そうすることでなんとか社会とつながっていた。その、なんだかわからない強烈に切実な感じと、どう考えても営利活動ではなさそうな雰囲気とで、断るに断りきれなかったのかもしれないたくさんの人たちが、たくさんの時間や作業を共有してくれた。

初めは友達も話し相手もいなくてほんとうに孤独だった私が、そうやって今日まで、いろいろな人たちに生かされてきたのだ。その人たちと一緒に生きていくための、次の一手を考え考え考え続けてきた。そして今、福祉施設をつくろうと計画している。しばらくは大きな声で言うのが憚られたけれど、このところはあえて声に出して言っている。私ひとりでできるものではないのは百も承知だけれど、いろんな人と力を合わせればできないはずがない、と自信を持つところまでは来た・・・本気だ。身の丈にあわない話をするつもりではない。だがこの話は大風呂敷を広げることでしか成立しない。何はなくとも山々がある。それにずいぶん救われた。バックには山がついてるから、私個人の話であって個人の話ではない。

下の子どもが保育園に通いだしたころ、それまでといちばん大きく変わったのは、子育て主婦以外の人たちとたくさん出会った、ということだと思う。それまで私の身のまわりにいたのはつまるところ、同じように小さな子どもを抱えたお母さんたちが圧倒的に多かったのだ。それはつまり、会話はつねに子どもの泣き声で中断され、頭の片隅にはつねにご飯の用意その他諸々あるいは授乳があり、一方で生活費の工面についてはいったん棚上げして夫に委ねていたりもして。そんな女たちは社会から隔離された世界の中でいろんなポテンシャルを隠し持っていたわけだけれども、こうしてシャバに出てみると、世の中には実にさまざまな人間が生きている。一心不乱にバリバリ働いているのも人間で、そこにいるのは男も女も皆人間。外で働く者の帰りを家で待つのも人間で、そこにいるのは嫁やら姑やら子どもやら皆人間。障害者と呼ばれているのも人間なら、その診断を下すのも支援するのも人間。管理職も人間だし下っ端も人間、行政も民間も警察も泥棒も人間。生まれたての赤ちゃんも人間だし思春期の若者も人間、もうすぐ息をひきとる老人も最後の瞬間まで人間だ。

どいつもこいつも人間で、人間にはそれぞれに心がある。

「とにかく生きよう」。ある時からこれが合言葉になってきた。
「とにかく生きよう」。そんな切実な言葉に誰が批判や反論をできるだろう?アートだろうがなかろうが、福祉だろうがなかろうが、「●●とは」「▲▲であるべき」にがんじがらめになって人間の心が死んでしまうならそれは本末転倒なのだ。

まずは生きること。生きよう。

イシワタマリ

山山アートセンター代表、美術家。1983年横浜市生まれ、福知山市在住。慶應義塾大学で「スピリチュアリティにまつわる社会学」を学んだのち、2007年から2009年にかけて、スペイン北部バスクやベルリンで絵画やパフォーマンスなどの創作活動を行う。2015年以降、京都府北部~広く山陰地域=「このあたり」を舞台に、さまざまな人が力を持ち寄ってとにかく生きようとするプロジェクト「山山アートセンター」構想を展開。2018年より高齢・障害・児童の複合福祉施設Ma・ RooTs(みねやま福祉会/宮津市)広報兼アートコーディネーター。
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    展覧会『逡巡のための風景』(2019年/京都芸術センター)から始まった、イシワタマリの覚え書きあれこれ。
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